“まずやってみる”を大切に。創立100年、さらにその先を目指して成長していきます。
1943年、東京蒲田で生まれた会社が、戦争により宮城県に疎開してきました。1947年、戦後の混乱の中、貴重な縁をいただき、電話網の復興に携わることになりました。そして1957年、高度経済成長を背景に、ソニー仙台工場の協力工場となり、テレビやラジオの部品、カセットテープを大量に生産するわけですが、この量産方法は我々に任されているため、設備投資も利益を生み出すのも自分たち次第。だからこそ社員一人ひとりがアイデアを出し、創意工夫しなければ事業として成り立たない。そんな厳しい環境だからこそ、“まずやってみよう”という姿勢が生まれ、それがこの会社のDNAになったと確信しています。
残念ながら、ソニーなどの下請け業務から撤退し、一方で通信関係の仕事は途切れることなく続けてきて、現在は配電盤で通信ネットワークを下支えしています。この配電盤においても、ブレーカー一つひとつの電流を計測できるセンサや遠隔で電源を制御する機能を搭載するなど、お客様の抱える問題を解決するために、社員のアイデアと創意工夫で製品化し、特許やグッドデザインを取得してきました。
時が流れ、扱う製品や技術だけでなく人が変わっても、“まずやってみよう”という姿勢だけは失われることなく、私たちの中に脈々と流れています。
私たちは、創業以来培ってきたチャレンジ・スピリットにさらに磨きをかけて、お客様ひいては社会の課題を解決するために、もてる力をすべて発揮し、成長を続け、豊かな情報通信社会の実現に少しでも貢献できるよう、これからも“まずやってみよう”を大切にしていきます。